2011年10月22日土曜日

1-1-1-2-1 弥生文化の成立

日本史 第1部-原始・古代 第1章-日本文化のあけぼの

2 農耕社会の成立

2-1 弥生文化の成立

 青銅器は祭器として、鉄器は利器としてそれぞれ使用された。
 弥生時代になると、縄文時代に盛行した呪術的な道具はみられなくなり、農耕に伴う祭祀が盛んになったと推定される。
 近畿地方を中心に分布する列島独自の青銅製祭器である銅鐸に、脱穀の様子や収穫物を納めたと思われる高床式倉庫などが描かれていることも、その根拠の一つである。
 そうした祭祀を進める役目を果たしたのが呪術能力をもった巫女であったと思われる。
鬼道に事(つか)え、能(よ)く衆を惑はす」といわれる邪馬台国の女王卑弥呼のように、彼女たちの能力は当時の「クニ」をまとめる力ともなりえたのである。

 稲作と金属器(鉄器・青銅器)が農耕社会としての弥生時代をつくり、そして発展させ、さらに戦争や階級社会を生みだした。 階級社会の成立:小国の成立・墳丘墓の造営・生口
  弥生時代の水田にとしては、排水施設を必要とする生産性の低い湿田、灌漑施設を必要とする生産性の高い乾田をとがある奈良県の唐古・鍵遺跡が代表的な稲作遺跡である。弥生時代、稲作の穂首刈りに用いられた石器は石包丁

1-1-1-1-3 縄文文化の成立

日本史 第1部-原始・古代 第1章-日本文化のあけぼの

1 文化の始まり

1-3 縄文文化の成立

 縄文時代には、集団を統率するものはいても、身分の上下関係や富の差はなかったと考えられている。

 弓矢・石鏃の使用は縄文時代から。
 縄文時代の人々は、あらゆる自然物に霊魂が存在すると考えるアニミズムといわれる原始的な信仰をもっていた。
 自然環境に適応して暮らしていた彼らの生活のなかでは呪術が大きなウエイトを占めていたが、縄文時代に多くつくられた土偶と呼ばれる人形は、女性をかたどることが多く、多産や収穫増を願う呪術道具であったと推測されている。男性の性器をかたどっ石棒も、多産や収穫増を願う呪術道具であろう。
 このほか、成人などに際して特定の歯を抜く抜歯をしたり、屈葬をして死者の魂の活動を防ごうとしたりするなど、様々な呪術的な行動がなされた。

 九州北部には、縄文晩期の水田址が発見された板付遺跡が所在する。

2011年10月20日木曜日

1-1-1-1-2 旧石器時代人の生活

日本史 第1部-原始・古代 第1章-日本文化のあけぼの

1 文化の始まり

1-2 旧石器時代人の生活

旧石器時代の日本列島には、南方系のナウマン象、北方系のマンモス象大角鹿を追いかけてきた人々が住み、ポイントとよばれる尖頭器を槍の先に装着して動物を捕獲したと思われる。
 人類の歴史は、用いられた道具によって石器・青銅器・鉄器などに区分される。
 
 旧石器時代人については、相沢忠洋の発見で有名になった群馬県の岩宿遺跡や、静岡県の三ケ日・浜北や沖縄県の港川から発見された化石人骨などから、それらの様子の一端がわかる。

 日本列島では、新石器時代は縄文時代以降であるが、漁ろう用の銛・釣り針には動物の骨を加工した骨角器、動物の皮をはぐために用いた石匙などの石器も用いられている。
 
 石器は利器として用いられたほか、貨幣にも似た役割をもっていたという説がある。たとえば、長野県和田峠や北海道白滝などを主産地とする黒曜石や、新潟県姫川を主産地とする硬玉の分布範囲が広域におよんでいることから、それらを各地に携行して、魚介類や獣肉類などと交換した可能性がある。また、男性の性器をかたどった大型・小型の石棒は、女性をかたどった土偶とともに縄文時代の呪術的信仰を今に伝えるものであると同時に、石器もまた儀礼に用いられたことがわかる事例である。
 このほかにも、成年への通過儀礼である抜歯も口を大きく開いて、石をあて、その石を別の石で打つかたちで行なわれたと推測されている。

日本史 第1部 原始・古代

 人類の歴史は約500万年前、地質時代区分の第三紀の終わり頃に始まり、猿人・原人・旧人の段階を経て、数万年前に現代人と同じ新人が出現。生活は、野生の動植物の狩猟・採取から植物の栽培と動物の飼育を行う農耕・牧畜の段階に進むと、社会は急速に発展する。
 紀元前7000年頃、エジプトやメソポタミアの肥沃な三日月地帯で、農耕と牧畜が始まった。やがて強力な王権の支配下でピラミッドや神殿などの巨大な建造物が築かれ、象形文字や楔形文字で記録する方法も考えだされた。
 農耕・牧畜は文化は、約4000年の間に、西はヨーロッパから東は中国にいたるユーラシア大陸に広まり、西方ではギリシア・ローマ文化、東方では漢文化・インド文化を開花させ、ローマ帝国と漢帝国との間には、シルクロードが東西交流の道を開いた。